住宅ローンの借りすぎで後悔しないために「いくら借りられるか」で決めない資金計画
2026/09/04
先日、10月初めの二日間で、岐阜の山奥にある「竜神の滝キャンプ場」を予約しました。毎年恒例になった、大学時代の友人たちとのキャンプです。不思議なもので、カレンダーにその二日間が入っているだけで、仕事に張りが出ます。楽しみな時間が先に決まっていると、仕事もはかどる気がします。
家も同じだと思うんです。家族と幸せに暮らすために、家を買う。そのはずなのに、いつのまにか順番が逆になってしまうことがある。今日はそんな話です。
前回、銀行のビルと、大工の手の話を書きました。経済思想家・斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』という本を読んで考えたことの続きで、今回は住宅ローンの話です。住宅会社が自分からはあまり書かないテーマかもしれません。でも、家づくりの入り口で一番大事なところだと思うので、今日はそのことについて書きたいと思います。
「いくら借りられるか」と「いくらなら大丈夫か」は別の質問
お客様と資金計画の話をしていてよくあるのが、「うちは、いくら借りられるかなあ」という質問です。気持ちはよく分かります。銀行の審査は、年収から貸せる上限を計算してくれますし、数字もすぐ出ます。でも私はこの数字を見るたびに、少し疑問を感じます。借りられる額と、返せる額。この二つは、別物だからです。
銀行の審査は、子どもさんの進学のことも、ご両親の介護のことも、いつか体調を崩す日が来るかもしれないことも知りません。当たり前ですが、知りようがないんです。見ているのは数字だけ。だから、問いを自分の側に引き寄せて、リアルに考えてほしいのです。「いくら借りられるか」ではなく、「いくらなら、うちの暮らしが壊れないか」。聞き方をこう変えるだけで、資金計画は別物になります。
住宅ローンは「人を従わせる仕組み」でもある
斎藤さんの本に、どきっとする一節があります。「住宅ローンは額が大きい分規律権力としての力が強い。膨大な額の三〇年にもわたるローンを抱えた人々は、その負債を返すべくますます長い時間働かなくてはならない」。規律権力なんて言葉、普段の暮らしではまず使いませんが(笑)、要するに「大きな借金があると、人は逆らえなくなる」ということです。
続けてこうあります。「快適な生活のために家を買ったはずなのに、負債が人間を賃金奴隷にし、その生活を破壊していく」。賃金奴隷とは、ずいぶん強い言葉です。でも、思い当たる場面はないでしょうか。本当は転職したいのに動けない。奥さんが、育児があるのに無理をしてパートやアルバイト、正社員として働かなくてはいけなくなる。理由を突き詰めていくと、「ローンがあるから」に行き着く。家を買ったことで、働き方に無理をしなくてはいけなくなる。冒頭に書いた「順番が逆になる」とは、このことです。
前回も書きましたが、銀行やローンそのものが悪いという話ではありません。私自身、融資に助けられて事業をしてきた人間です。本当にありがたいことです。借りる力そのものは、道具です。使い方さえ間違えなければ、暮らしを前に進めてくれる。問題はただ一つ。道具のほうに人が使われてしまう額まで、借りてしまうこと。そしてその線は、銀行の審査では引けません。自分の暮らしの側にしか、引けないんです。
家に手をかける余裕を奪うものの正体
本の中に、はっとする一節がありました。「長時間労働は家事や修理のための余裕を奪い、生活はますます商品に依存するようになっていく」。
家でコーヒーを飲んで、庭を眺めながらぼーっとする。家族との会話を楽しむ。庭の草を取ったり、棚のひとつを自分で付ける。家に手をかける暮らしって、本当はそんなに難しいことじゃないんです。要るのは、時間。ただそれだけです。ところがローンが大きいと、誰かが無理して働かないといけない。すると家族の時間がなくなる。時間がないから、家を持ったはずなのに、家にいる時間が短くなってしまう。そんな逆転が起きます。
家に手を入れる余裕を奪っているのは、家の値段の高さと、メンテナンスにお金がかかることではないか。そう思うようになりました。うちは自然素材の家をつくっています。無垢の床も、漆喰の壁も、良さの半分は「住む人が自分で手をかけられること」です。メンテナンス費用も少なくて済みます。手をかける時間が残らない資金計画では、その良さを受け取れない。勿体無いなと思うんです。
小さく建てて、手をかけながら長く住む
じゃあ何を基準にすればいいのか。私が打合せの席でお話しするのは、結局この二つです。
まず、逆算。借りられる上限からではなく、「毎月これなら無理なく払える」という額から始める。旅行にも行けて、貯金もできて、多少の不意の出費があっても壊れない額。そこから逆算した予算が、その家族の本当の予算だと思っています。借りすぎて後悔しない一番確実な方法は、これに尽きます。
それから、小さく建てること。床面積を欲張らなければ、借りる額は減ります。借りる額が減れば、働き方に余白が生まれる。余白が生まれれば、時間が残る。その時間で、家に手をかける。家は建てた瞬間が完成ではなくて、手をかけながら育てていくものです。小さくても手をかけられた家と、大きくても誰も手をかける余裕のない家。長く住んで幸せなのは、どっちだろうか。私はいつもそこを考えます。
いま返済中の方は、もしかしたら責められているように感じたかもしれません。そうではないんです。仕組みが、そういうふうにできている。それを知っているだけで、この先の選択は変わってくると思います。焦って何かを増やすより、まず暮らしの時間を守ること。私なら、そこから考えます。
10月、滝の前で友人たちと何を話すんだろう。今から楽しみです。家というのは、本当は、そういう時間のためにあるものだと思うのです。何のために働いて、何のために家を買うのか。順番さえ間違えなければ、住宅ローンは怖いものではありません。
私はこの常滑で、そういう順番の家づくりを続けていきたい。資金計画の段階からのご相談も歓迎です。「いくらなら壊れないか」。そこを一緒に考えるところから始めましょう。
常滑市・知多半島で自然素材の家づくりに興味がある方、ぜひ一度モデルハウスを見に来てください。営業は一切しません。見るだけでも大歓迎です。
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ではまた!